「貴方のそばにいられるだけで幸せなんです」



言ったその言葉に、嘘は無かっただろうか。












ユーリは突然気を失ったまま未だ目を覚まさない。

猊下はユーリの眠るベッドの側に置かれた椅子に座り、先程から何事か考えているようで何も話さな

いままだ。

そしてその背後に俺は立っていた。

こんな時、俺はユーリに何もできない。

ユーリが人間の法術に倒れたときも、今も。

ただ見守ることしか出来ない。




「ウェラー卿、こんな話を聞いたことはあるかい?」




突然声をかけられて俺は目を見開く。

猊下はユーリを見つめたままゆっくりと話し始める。

「人間には魔術が使えない代わりに法術が使える。それは魔術にも匹敵するものだ。だが、魔術の

支配する土地ではその威力も弱まる。」

「ええ。それは知っています。」

「うん。これは皆が知っていることだ。・・渋谷を攻撃したのは法術で、魔族の土地でだった。」

言われた事実にハッとする。

そうだ。

威力が弱まっているにもかかわらず、強力な魔力の持ち主であるユーリを数日寝込ませたのだ。

「法術の中にはね、禁術があるんだよ。」

「禁術、ですか?」

「そう。僕が知っているものに魔術が支配する土地でも凄まじい威力を発揮するものがある。きっと男

は禁術を使ったんだろうね。」

「それは一体、どういうものなんですか・・・?」

「禁術というからにはそれ相応のリスクがあってね。使った者は瞬間とても強い力を手にするが、その

後、代価として命を奪われる。」

男の死については何とも思っていないのか、猊下は淡々と話す。

この方にとってもユーリが第一であって、それ以外のことはどうでも良いのかもしれなかった。

「そして今回渋谷に男が使ったのは・・恐らく」

そこで猊下は一瞬間を置いた。

高貴な色の瞳が伏せられる。

「渋谷が愛している人を奪うものだ。ウェラー卿、君をだよ。」

付き合ってるんだろ?

と事も無げに睨下は続ける。

俺は言われた言葉が飲み込めず、ただ呆然としていた。

どういう、意味だ?

「強力な法術で渋谷を支配し渋谷自身の手で渋谷の愛する人の命を奪わせる。妻と子を奪われた男

の、報復なんだろうね。」

「それ、は・・」

ユーリが、俺を殺すよう操られるということか?

「でも渋谷は―・・」

猊下は言いかけた言葉を飲み込む。

どうしたのかと覗き込むと、ユーリが目を覚ましていた。

「ユーリっ!」

「渋谷・・!」

意識がはっきりしていないのか、ユーリはぼんやりとした目をこちらに向ける。

「・・あれ・・?」

「渋谷・・大丈夫・・?」

「あ・・平気。ごめんおれ・・また心配かけちゃったよな・・」

ユーリは上体を起こすと、申し訳なさそうに頭を垂れる。

「気にすること無いよ。」

ふと、ユーリは顔を上げて俺の顔を不安げな瞳で見た。

「・・・陛下・・?」

猊下の手前、あえて名前を呼ぶのを避けると、ユーリは顔を顰める。

「陛下って呼ぶな・・・」

名付け親。

といつもなら続く言葉が無い。

先ほど、ユーリは俺が名付け親であることを知らないと言った。

何故忘れてしまったのかは、分からない。

しかし先ほど話して俺が名付け親だということを再び知ったはずだ。

嫌な感じが、した。

「渋谷。何でウェラー卿に陛下って呼ぶなって言っていたかわかるかい?」

猊下が何故そんなことを聞くのかわからなかった。

わかるはずだ。

先ほど話したばかりじゃないか。

まだ実感できていないから言わないだけで、わからないわけがない。

それなのに、どうしてそんなことを聞くんだ。

そう思いながらも、俺は底知れぬ不安に襲われる。

そして、ユーリの答えを聞く。





「あれ・・何でだったっけ・・?」




世界が一瞬止まったような気がした。

「ユー・・リ?」

やっとのことでその名を呼ぶ。

忘れてしまったと、いうのか・・?

何故?

猊下はユーリの答えを予想していたようで、驚く様子は無い。

これも法術の影響だというのか?

「じゃあ・・ウェラー卿のことは知ってるよね?」

「当たり前だろ!コンラッドは・・えー・・と・・おれの・・た、大切な・・・大切な・・」

もごもご。

頬を染めながら言葉を濁すユーリの姿はいつものもので、少し安心する。

だが。

「野球仲間?」

猊下が言うと、ユーリはきょとんとする。

「や・・きゅう・・?」

分からないといった風のユーリに、俺はらしくもなく狼狽する。

「ユーリ・・?」

忘れてしまったと、いうのか?

俺は思わずユーリに縋るようにしてその発達途中の華奢な肩を掴む。

「ユーリ・・わかりますよね!?よく執務を抜け出してキャッチボールしたで・・しょう?」

声がかすれる。

緊張で口が乾いた。

「キャッチボールって・・おれと・・コンラッドが?」

「ユーリ!?」

何が起こっているのかわからない。

ユーリの中から俺が消えていくようで、不安で不安でたまらなくなる。

何故?

「ウェラー卿。」

厳しく響く声に、俺は我を取り戻す。

気づけば知らずにユーリの方を掴む手に力が入ってしまっていたらしく、ユーリの顔が痛みに歪んで

いた。

慌てて手を離して謝る。

「すみま、せん。」

何をやっているのだろう。

頭はまだ真っ白なままだ。

「渋谷、ウェラー卿とキャッチボールしてたこと、覚えてない・・?」

「う・・ん・・。あ・・れ・・?そうだよな。おれ、よくコンラッドと執務抜け出して・・あれ・・一体何してたん

だっけ・・・?おれ・・何で思い出せないんだ・・?」

混乱してユーリは頭に手を当てる。

「何・・で・・?」

そんなユーリの様子を、俺は呆然と見つめるしかない。

何が起こっているというんだ。

「渋谷、落ち着いて。」

ユーリを攻撃した術はユーリが俺を殺すというものではなかったのだろうか。

「猊下・・これはどういうことですか・・?」

「村田・・?」

おれとユーリの視線が一人睨下へと集まる。

猊下はひとつため息をつくと、話し始める。

「ウェラー卿にさっき言った通り、渋谷にかけられた術は、渋谷をウェラー卿を殺すように操るものだ。

だけど、」

と、先ほどの続きを語る。

「渋谷は魔力が強い。なんたって眞魔国1だからね。たとえ禁術を用いようとも完全には渋谷を支配で

きなかったんだよ。それに渋谷が無意識の内にウェラー卿の命を奪うことを強く拒絶したんだろうね。」

「おれが・・コンラッドを殺すって・・そんなの嫌だっ!」

「うん。だから、術はうまく機能しなかった。渋谷がウェラー卿の命を奪うことは無いだろう。」

猊下の言葉に、ユーリがほっと息をつく。

しかし安心などできようはずもない。

「だけど禁術は禁術だ。相当な威力を持っている。そう簡単に回避できるものじゃない。例え強い魔力

の持ち主であろうともね。ここからは僕の憶測だけど・・」

言って、猊下は俺を一瞥する。

自分の拍動がやたら煩く聞こえてくる。

「術の威力はウェラー卿に向かわずに渋谷本人に向けられたんだ。」

「おれ、に・・?」

「そう。術は渋谷から愛する人を奪うもの。ウェラー卿の命が奪えないのなら、渋谷の中のウェラー卿

を奪えばいい。」

じわり。

手に汗が滲む。

続きを、聞きたくは無かった。


「渋谷から、ウェラー卿の記憶を奪えばいい。」


しばらく、口をきく者はいなかった。

否定しようにも、実際ユーリの中から俺の記憶の一部が消えている。

だがそれを認めてしまうことはできない。

ユーリの中から、俺が消える・・?

「な・・そんなこと・・・」

「こういう例がないわけでもないんだ。古い文献に載っていてね。一度記憶を失えば、再びその人物

のことを記憶することもない。・・・だとしたら、ウェラー卿が名付け親であることをまた忘れてしまった

ことにも頷けるだろう・・?」

再びその人と交わることはなくなるのだと、猊下は続ける。

「ちょっ、ちょっと待てよ!まだそうだと決まったわけじゃないだろ!?たまたま・・おれがちょっとぼけ

てるだけかもしれないじゃん!ほら!おれって脳筋族だからさ。そんなこともあるって!」

ユーリは無理に笑顔を浮かべて言う。

「・・・そうだね。」

それにこたえるように猊下も微笑む。

しかし、猊下はそうは思っていないのだろう。

きっと、確信している。

「村田は心配性なんだよっ。コンラッドのことはちゃんといっぱい知ってるから平気だって!」

ベッドから抜け出た手が猊下の背中を軽く叩く。

「いたいってー渋谷〜。」

一瞬、穏やかな空気に包まれる。

しかし、俺はただもうぐらぐらと倒れそうになる体を支えるだけで精一杯だった。




猊下は部屋を出て行き、ユーリと二人きりになる。

何を話せばいいのかもわからない。

冷静に、なれない。

「コンラッド・・大丈夫・・?顔色悪い・・」

ユーリの温かな手が、呆然としている俺の頬に触れる。

この人にだけはこんな情けない姿は見せたくはないのにな。

それなのに今は、怖くて怖くて。

いつもの笑顔を取り繕うことさえできない。

「きっと大丈夫だよ。」

ユーリは笑顔で言う。

きっとユーリだって不安なはずだ。

しかし、こんな時にでもユーリは人を気遣うことをやめない。

触れる手を強く握り返す。

「ユーリ・・」

「そんな捨て犬みたいな顔すんなよ〜・・な?」

言葉を続けようとするユーリの唇をふさいできつく抱き締める。

最初は見守るだけで満足だった。

それなのに今は─…

「ユーリ…」

俺は貪欲になった。

きっと今自分がユーリに抱いている気持ちはあの頃のような純粋なものではない。

見守るだけで満足することなんて、きっとできない。

貴方に触れられなくなって、名前を呼ばれることもなくなって・・・

そんなことに俺は耐えられるだろうか。

いつかおかしくなって、貴方を俺はまた傷つけてしまうのではないだろうか。

それが、怖い。

何より、怖い。

「コンラッド・・」

貴方の俺を呼ぶ声が好きだった。

貴方に呼ばれるだけで、この世の幸せを独り占めしたような気分になれた。

ユーリの手が、俺の背中を優しく撫でる。

「・・・すみません」

ユーリに回していた手をゆっくりと離す。

「ユーリだって不安なはずなのに・・・」

コツン、と額をくっつける。

「大丈夫だよ。村田だって解決法を探してくれてるし!なんとかなるよ!」

ユーリは俺に微笑む。

「ユーリ」

ユーリは俺の顔を両の手で包むと、触れるだけの口付けを落とす。

「ごめん」

「何で謝るんだよ?」

「俺が頼りないから」

「ばーか。コンラッドはいつだって頼りになるよ。」

言って笑うユーリをまた抱き締めた。

俺がこんな有り様ではユーリは一人で苦しまなくてはならなくなる。

俺には心配させないように不安を笑顔で隠して、一人で抱えこむ。

ユーリはそういう人だ。

だから。

今だけ。

今だけ貴方に甘えさせて。

明日には、俺が貴方を支えるから。

いつものように、笑うから。



俺達は日が暮れるまでそうしていた。








願わなくても日は登り、朝はやってくる。

俺はその日もいつもと同じようにユーリを起こしに向かっていた。

扉を軽くノックして、返事を待つことなく部屋に入る。

「ユーリ、朝ですよ。」

「んん〜っ」

ユーリは眠そうな顔を布団から出す。

そして俺の顔を見るとユーリの顔が笑みをかたどる。

「おはよ、コンラッド!」

彼が俺の名を呼ぶことに安堵を覚えながら、俺も返事を返す。

「おはようございます、ユーリ。」

俺が笑顔をつくると、ユーリはどこかほっとしたように笑った。

「朝食の準備ができていますよ。早く着替えて行きましょうか。」

「ん。そうだな。今はまだロードワークに行くとギュンターが煩そうだし。」

ぼやくユーリに微笑みをひとつ落として、手を差し出す。

「んっ」

躊躇いもなくこの手を取るユーリに嬉しさを覚える。

ユーリの着替えを手伝いながら、俺は昨日のことを詫びる。

「いいってー!あんたが珍しくおれに甘えてくれて嬉しかったよ。」

ユーリははにかむように笑う。

その顔に見惚れながら、それでも、と続けた。

「それでも、元はと言えば俺が、貴方を守れなかったせいで起こったことなのに・・・俺が取り乱してし

まって・・」

本当に、最悪だ。

情けない。

「だーかーらー!そんなこといいってば!っていうかなんであんたのせいなんだよ。元はと言えばおれ

が一人で勝手に抜け出したのが悪いんだから、あんたは何も悪くないよ。」

言ってユーリは笑う。

しかし俺は笑うことなどできない。

今彼は何と言った?

「ユーリ・・貴方は、一人で城を抜け出したと?」

否定して欲しい。

否定して、欲しかった。

何故ならば、あの時、あの時俺も―・・


「・・そうだろ?」


貴方と一緒にいたんだ。

否定されることのない言葉に愕然とする。

確実に彼の中から自分が消えていくのを感じて、足元から崩れ落ちていくような感覚に襲われる。

「コンラッド・・?」

どうしたのかと、ユーリが不思議そうな顔で俺の名を呼ぶ。

「・・俺も、一緒にユーリと城を抜け出したんですよ。」

「・・・え・・?」

ユーリの顔が色を失う。

きっと俺が冷静だったなら、ユーリにこのことを伝えることはしなかっただろう。

伝えれば、ユーリを余計に不安にさせるだけだ。

だが、今の俺にはそこまで考えられる余裕など欠片も無かった。

「う・・そ・・。おれ、でも・・あんたと一緒にいた記憶が・・」

そこで言葉をきって、ユーリは目を逸らす。

その日の記憶をたどっているのだろうか。

「・・おれ、また・・忘れちゃったの・・か・・?」

「ユーリ・・」

「ごめん・・っ!おれ・・っ、コンラッドのこと・・忘れ・・っ・・ごめん・・っ!!」

今にも泣き出しそうになるユーリの手を引き、きつく抱きしめる。

「ユーリっ!大丈夫、大丈夫だから・・ね?」

少しでも落ち着くようにと、その背中を撫でる。

「大丈夫じゃない・・よ、だっておれ、本当にあんたのこと忘れちゃうんだ・・」

怖いよ、と消えてしまいそうな声で呟く。

こんなにも、ユーリは不安な気持ちを抱えていたんだ。

いたたまれなくなって、震えるその体を抱く腕に力を込める。

「ユーリ」

「やだ・・よっおれ、あんたのこと忘れたくないのに・・っ」

言って、ユーリは泣くのを堪えるように唇を強く噛む。

「ユーリ・・」

いっそ泣いてくれればいいのにと思う。

不安に震えながら、まだ我慢するの?

我慢なんて、しなくていいのに。








「ね、コンラッド・・」

しばらくして、ユーリが唐突に口を開く。

「ユーリ?」

「あんたは、おれのそばにいなくていい。」

「ユーリ?」

ゆっくりとユーリが俺の体を押し返し、漆黒の瞳が、俺を捕らえる。

「別れよう、おれ達。」

一体何が起こっているというのだろう。

「ユー・・リ?」

「おれはあんたのこと、忘れちゃうんだよ?」

「・・・っ、なんとかする方法があるのかもしれない・・貴方も言っていたでしょう?」

「でも、もしこのままおれがあんたのこと忘れたら?もしおれがコンラッドの立場だったらそんなの耐えられない。

だから・・そんな可能性にかけてあんたのこと縛りたくなんてない・・。」

絞り出すような声に、俺は言葉を失う。

「だから・・コンラッドは好きなようにしていいよ」

黒い意志の強い瞳が俺を見つめる。





「別れよう、おれ達」




返事をすることもできず、目の前で貴方のその瞳が哀しげに揺れるのを、俺はただ呆然と見つめてい

た。



















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***
・・・。
コンラッドがやたらとへたれていてごめんなさい・・(土下座)







2006.01.14






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